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日中花文字国際交流の展覧会作品展示

by rzhwz

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       華峰流 花文字教室
講師  楊 海峰(ヨウ カイホウ)
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日本花文字恊会 会長
日本中華文学芸術家連合会 理事
日中花文字国際交流協会 会長
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華峰流花文字は初めての方でも、練習し易い手本で正しい特殊板筆法と花文字基本図柄(竹、蝶、金魚、
花、鳥、鶴、龍、鳳凰)などを習得して、美しい花文字を、手軽な絵手紙、年賀状から大作の展示
作品まで楽しく描いてゆきます
  

 

宇治花文字
 
日 時7月14
日 日曜日 13:00 〜 16:00
体験教室 10:00-11:00
 場所:京都府宇治市六地蔵町並38の22-3F(中村医院裏面)
宇治JR六地蔵駅から徒歩5〜8分
車の方は4台まで 先に電話で予約
楊海峰  携帯090ー2385ー5919

教室内花文字の勉強風景
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by rzhwz | 2011-09-19 17:13 | 第二回日中花文字国際交流招待展 | Trackback

花文字の歴史

花文字芸術面の特徴

中国の民間芸術である「花鳥文字」には、「龍鳳文字」や「花鳥・虫魚の組合書法」、「隠れ文字絵」、「文字謎」、「飛帛板書」、「意匠文字」などの呼び名もあります。また、氏名を書く場合によく用いられるので「氏名絵」と呼ばれることもあります。書く場合は、特製の多色絵筆を使って、物の形や文字の替わりとなるらせん状の線を、簡潔に、勢いよく、一気に書き上げます。書き上がったものは、文字の中に絵が巧みに入り込み、一体化されています。これらの文字は、縁起物であると同時に、文字自体の情趣と視覚上のインパクトを持つだけでなく、伝統的な中国絵画の潔さと西洋絵画の鮮やかさを併せ持っています。飛び舞う龍や鳳凰、花、植物、小鳥、蝶々、魚が互いに引き立て合い、見る人を飽きさせません。「書道家泣かせの起筆、画家泣かせの潤飾」という説さえあるように、中華民族の歴史・文化の中のすばらしい芸術の1つです。
龍鳳文字の由来
龍鳳文字の由来には、次のような言い伝えがあります。
漢霊帝熹平時代、先代皇帝の功績を褒め称えるため、皇帝は大学者の蔡邕に《聖皇篇》を作らせ、鴻都門に書くよう命じました。ところが、どんな書体を見せても皇帝は一向に満足しませんでした。蔡邕は、皇帝が自分の意見を求めに来たらどう答えようかと焦っていました。しかし、皇帝を満足させられるようなユニークな書体を思いつきませんでした。もしうまく回答できなければ、自分の無能さをさらけ出すことになるため、蔡邕は大いに悩んでいました。そんな時、1人の掃除係が地面を掃きながら蔡邕の横までやってきました。1日の清掃業務がこれで終了と思ったからか、掃除係は上機嫌になり、竹ぼうきを使って勢いよく大きな「好」という字を地面に書きました。竹ぼうきで地面を払った一筆一筆は、繊細で、くっきりと描かれていました。文字の各部分は、今にも飛び出してきそうな長い絹のようで、それでいて地面としっくりと調和している、大変素晴らしい、生き生きとした「好」でした。それを見た蔡邕にふとよい考えが思い浮かび、蔡邕は思わず微笑みました。なぜ微笑んだのかを皇帝に聞かれた蔡邕は、「先代皇帝の龍虎の如き勢いを表現できる新しい書体を思いつきました。ただ、これまで誰も書いたことのないものでございますので、一度試してみたいと存じます」と答えました。蔡邕は書斎に戻り、特別な筆を作り、先ほど見た竹ぼうきの動きを真似して一気に書き上げました。こうして、霊帝を大満足させた、これまでとはまったく異なる「飛白書体」が生まれました。蔡邕が「飛白書体」を編み出した後、その書体を学ぶ人はどんどん増え、皇帝自らもこれを褒め称えました。その後、「鳥書体」をうまく取り入れた「飛白鳥書体」も生まれました。
現在、河南堰師仙君廟にある「昇仙太子之碑」は女帝武則天が書いたものと言い伝えられています。
歴史に残る飛白書体についての数々の記述:
 唐代、張懐瑾の《書断》——漢の終わり、魏の始まりの頃、宮廷の楼閣に飛白書体で字を書く。書法は二つ:隶書という書体から生まれたことと、小篆という書体にもこだわること。
 唐代、張懐瑾の《書道要録》——雲や霞同士が速やかに離合するように、龍や虎のような勢いを持ち、飛び出すとますます凄まじくなる。
 宋代、黄伯思の《東観余論》——散隶という書体に似ているが、さらに飄々とした風格が足されたと言えよう……………………………  
 清代、陸紹曾と張燕昌の《飛白書録》二巻に、漢から清の始まりまでの、飛白書体の使い手百二十人のことが記載されています。飛白書体に関する記述はほとんど漏れがなく、引用文についても出典がすべて明記されているほどです。また、原文の注釈として、陸、張両氏はそれぞれの意見を添えたうえに署名をし、考証・訂正した内容もきちんと書かれています。巻末に張氏の《飛帛論》が添付されています。

張燕昌が飛白書体を使って書いた掛け物の一部 周志成の作品「蘭」
しかし、飛白書体が文化人の間で盛んに使用された年数はそれほど長くありませんでした。特製の絵筆を使う必要があることや、どちらかいうと絵画に近いことから、後世の書道家たちから徐々に敬遠されるようになったためです。
社会の下層に属する1人の掃除係が無意識のうちに文化人のインスピレーションを触発し、書体探しという差し迫っていた大事を解決しました。大文化人が新しいアイディアを得て古いものをあっさり捨てた時、社会の下層に属する労働者たちはそれを受け入れ、やさしく自らの懐に抱いたのです。
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今なお流行る民間芸術の龍鳳文字(花鳥文字)は、飛白書体の延長とも言えるものです。飛白書体と龍鳳文字(花鳥文字)はいずれも、筆運びや文字の配り、構成など、書道の要素を持っています。さらに龍鳳文字(花鳥文字)は、漢字筆画の形から絵を創り出し、「狂草」という書体と「写意」という中国画の手法を併せ持っています。芸術性を強調する他の書体と違い、ゆっくりとしたリズムの中で感情を表現するのではなく、すべての精神を絵筆に凝集し、一気に書き上げるのが特徴です。いわば、魂の一瞬の軌跡がそのまま紙に残っているのです。 
by rzhwz | 2011-09-19 15:40 | Trackback | Comments(0)
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大阪中秋明月祭花文字実演
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日本花文字協会事務局 事務局長 中本 孝
by rzhwz | 2011-09-17 20:29 | 大阪中秋明月祭花文字実演 | Trackback | Comments(0)